2011年9月24日土曜日

三角の家


軽自動車ばかりが並ぶ露天の中古車売り場に
憶えているかぎり人影があったためしはなく


スペシャル特価と書かれた看板が風にたわみ
道路のむかいにある家の窓ガラスをふるわせる


僕の家は三叉路に食い込むくさびの形で
天井だけが見えないほど高かった


「トタン板 プラスチック 少しの木材で構成され
地面には撒き散らされた石とガラスの破片が認められる」


人はそれを
廃屋と呼ぶこともあったかもしれない


反ってしまった薄板の扉が
とがった家の先端の両脇でいつも半開きになっていて


そこをひっきりなしに何かが通るのだったが
通るものの大半は見えないのだった


昼はおしゃべりと静かな呟きが交互に通りすぎ
夜になると無数の小さな光が扉と扉の間を流れ


母はそれを見て
この家には星が流れるのねと言った


しかし僕は知っていた
あれは夜を駆けるおびえた鼠たちの眼の光だ


ときに家の床いっぱいにキラキラする液体がひろがり
月の光が流れ出したように見える


それは溢れた下水だったのだが
母は忘却の河だと信じて見つめていた


壁によりかかりマネキン人形のような母の上で
水面で反射した光の波はゆらゆらと踊り


僕らにはお互いにかける言葉もなく
一万年は一夜のうちにすぎてゆく


だから僕の家にある夜
うすぼんやりとしか見えない少女が現れ


ひそやかな声で笑っていたとしても
なにも不思議ではなかったのだ


「幽霊は誰なの?」


幽霊なのは僕と君
毎晩 赤い眼の鼠に乗って旅に出る


ありとあらゆる街はがらんとしていて
どの中古車センターにも誰もいない


父が静かに吊り下がる三角の家の高みから
シトラスの匂いのする雨が落ちてくる時


僕らは幽霊であることにくすくすと笑い
それからのどの奥を覗き込みあうのだった


ああ 世界がいつまでも廃屋でありますように


僕たちはどこにもいなかったが
三角の家に住んでいたのだ
………

メンダヴァルトのチョコボール


メンダヴァルト社というお菓子メーカーが
ノルウェーにあるのをご存じだろうか。
小さなメーカーだけど、一風変わったチョコレートを
作ることで知られている。





直径2センチほどの、球体をしたチョコレートで、外見だけ見れば
日本でも普通に見かけるチョコボールにすぎない。
厚さ数ミリのチョコの内側は空洞で、ピーナッツもカシューナッツも
ヌガーも入っていない。


このチョコボールの何が変わっているかというと
空洞の中が、ほぼ完全な真空状態だということだ。
チョコレートという、さして堅牢でも緻密でもない素材の容器の中に
真空を造ることの困難さは、想像を絶するが
メンダヴァルト社は、25年の歳月をかけて、この難事に成功した。
その製造工程は、絶対的な企業秘密だという。





さて、それでは、チョコボールの中が真空であることで
どのようなメリットがあるのだろうか。


それが、実は、なにもない。
考えてみればすぐわかることだが、口の中でチョコを噛んだ瞬間
真空状態は失われる。
その瞬間、特に味覚に格別な刺激があるわけではない。
少なくとも僕が食べた時には、チョコに包まれた真空の存在は
ぜんぜん感じることができなかった。


つまり、メンダヴァルトのチョコボールは、
世界でもっとも中に何も入っていないチョコであると同時に
もっとも無意味な真空を内包した物体なのだ。





「無意味な真空。それこそが、このチョコレートの
何者にもかえがたい価値なのデスナ!」


と、僕の友人のメーテ君は、涙を流して言うのだ。


「中に何も入っていないということを突き詰めることで
このチョコは、一介のお菓子でありながら
我々に形而上学的な問いかけを突きつけてくるのであり!
それは、真に存在しないものとはどういうものか、という
ベケット的な問いを発しているのデスヨ!」


なにも存在しない、ごく小さなチョコの中の空間は
存在の意味を持たない、いわば二重に非在な空間なのだ
チョコボールの分際で、なんと哲学的な食物なのか!と
メーテ君は焼酎飲みつつ天を仰ぐのであった。





ただ、残念なことに
メンダヴァルト社の創立者であり
このチョコレートの発明者である、グンナー・メンダヴァルトは
まだ、この世に生まれていない。


したがって、メンダヴァルト社は
ノルウェーの電話帳には載っていない。
それを考えると、メンダヴァルト社の真空チョコを入手することは
現時点では不可能に近いかもしれない。


ごめんね、メーテ君。

飴玉


空にはポケットがあって
小鳥が折りたたまれて入っている


空にはポケットがあって
地球がころりと入っている


静まりかえった一日に
ぽかんと空を見上げていると


誰かが ポケットの上から
僕らの星をそっと押さえて


まだあるかな?と
うれしげにつぶやく気配がする


僕ら ゆっくり夢見ていよう
誰かの甘い唾液につつまれる日を

記憶から半歩ずれて


記憶から半歩ずれて ごろりと寝ころぶ
猫の眼には暮れかかる街
サルート!
遠くで泡まみれの男が叫んでいる

いま俺たちはここで安らかだが
どこかでガラスを割る音が聞こえたら
それまでさ
缶詰め喰ってる暇もなく全て消える

紙を数える仕事は俺たちを数える仕事に似てる
幸福から半歩ずれて俺たちは薄い
手を切るなよ
ゆっくりと揃えるんだ この世の端を

繰り返す歌 繰り返す笑い
店先から漏れ出す肌色の光
オーケー
だが世界はすこしずつ暮れてゆく

俺たちの内部の熱は はかなく揺らぎやすく
空の奥からチカチカ光る寒気はやってくる
だから地面に横たわり
記憶から半歩ずれて空を見上げているんだ

このままここで
夜が来るのを見ているんだ

いかりや長介が死んだ夜


1.

海と山にはさまれた 曲がりくねったその街は
いたるところ赤土と石段だらけで

斜面を少し滑り落ちるだけで
良ちゃんの短パンの尻はオレンジ色になった

二百段の石段をのぼりきれば、その建物に行けるが
俺たちはそんな安易な道は選ばない

触れるだけで皮膚を切る野草の葉と戦いながら
山間の道なき道をゆき、裏から潜入するのだ

不思議な造りをした大きな屋敷は
数年に一度の賑わいに満ちていて

偵察行動から帰った良ちゃんは
キンパツセクシーがいた!と興奮しきった声で告げた

その屋敷が何なのかすら知らずついてきた俺が
キンパツセクシーってなに?と聞き返すと

良ちゃんは真面目な顔で、片足を曲げてみせ
ちょっとだけよー!と言ったのだ

あんたも好きねえ!と俺はすかさず答え
俺たちは、草やぶの中で転げ回って笑った

2.

いかりや長介が死んだ夜
俺は、書き直した伝票を差し出して
愛想笑いしていたかもしれない

いかりや長介が死んだ夜
ぬるいコーヒーを出す自販機に軽く蹴りを入れ
休憩所の前でふくれっつらをしていたかもしれない

いかりや長介が死んだ夜
俺は、子供と顔を合わせることもなく
缶ビールを飲んで寝たかもしれない

記憶すら残らないその夜
俺の頭が手ひどく叩かれることもなかったし
頭上からタライが落ちてくることもなく
子供たちが、かあちゃんお腹すいたよー!と
憎々しげに叫ぶこともなかった

3.

舞台は回る 回る
歌手を乗せて 回る 回る
ああ、もう終わりの時間だ

歯みがけよー!とその男は怒鳴る
よけいなおせわだい!と良ちゃんは答える
良ちゃんの身体は熱くて いつも小刻みに揺れている
その振動が、よりかかったテーブルに伝わって
ほら!こぼれたじゃないの!とおばさんの声がする

4.

米軍もすっかり少なくなってね
それでもけっこうやれてはいるけどさ
一度こっちに帰ってこれないの?

いや、もう家もないからなかなか…
でもそのうち、必ず…じゃあ…

そう言って、電話を切って10年たつ
幼なじみが行方をくらまして1年たつ
つまらない借金で雲隠れだ

夢の中で、俺はうしろうしろーと叫ぶ
しむらー、きをつけろー

だって仕方がないじゃないか
俺たちにはもう、背後から忍び寄って
怖い顔して怒ってくれる人はいないんだ

少年の良ちゃんは、そう言ってさびしく笑う

5.

定食屋の汚いテレビの中で
残されたメンバーはうつむいていた

志村よ、加藤よ、高木よ、泣くのはずるい
君たちはいつまでも笑っていなくては

熱狂的な午後八時はすでに遠く
赤土と石段でできた故郷は、さらに遠い

手洗いに立ったときに涙がこぼれ
テーブルに戻りながらあわてて目をふいて

俺は若く輝かしい加藤茶のように
眉を動かし、にやりと笑い
伝票で落とそうな、と同僚に言った

無題


痩せこけたゴリラのくぼんだ瞳の奧の悪い夢よ地に眠れ 
林檎を投げ捨てる幼子の頬を切り裂く風よ海に眠れ 
最後のチンドン屋が吹き鳴らす喇叭の音よ 空のかなたで眠れ 

きみをたどる


きみを たどってゆきたい

はじめてみる あさがおの葉の
葉脈を ゆびでさわる
こどものように

きみの ながれを
たどってゆきたい

みず かぜ くさ
いき ふるえ ゆらぎ

きみの かたちは
しろい のはらのようだ

きみのうえを 旅してゆきたい
おずおずと ふるえるゆびで

きみの こころは
のはらのむこうに
はるかに かすんで

とりとめない ことばは
なにひとつ ききとれない

きみに たどりつけるのか
わからないけれど

はじめてきく 異国の
音楽に みみをすます
こどものように

きみを たどってゆきたい

クレモナ



僕はクレモナというスポーツの愛好者だ。
必要なのは、やや錆びついてキイキイ鳴る自転車
そしてできるだけ長い、だらだらと下る坂道。

宵闇迫るころ、長い坂をなにもせずに下り
その勢いでどこまで行けるかを競う。
ペダルを漕ぐことは一切許されない。

歩行者を避け、信号や段差を避け
灯のともりはじめる街を、そろそろと走ってゆくのだ。


クレモナの愛好者は、この町では僕の他に二人。

一人は肉屋のご隠居。
伝説のチャンプと呼ばれ、蝸牛が這う速度で
どこまでも行ってしまう僕らのマイスター。

僕はご隠居と口をきいたことがない。
遠くから限りないリスペクトを捧げるだけだ。


もう一人は、肉屋の三軒先の洋装店の次男坊。
僕の旧友でクレモナの名付け親
誰よりもクレモナを熱く語る男。

ご隠居は富士山の麓まで行っちゃったらしい。
いや、世界にはドーバー海峡を
クレモナで越えた猛者もいるらしい。
ドーバーを越えた猛者は
船の中を自転車で走っていたという。

「いくらなんでもそりゃウソだろう」
「いや、ホントにホントだって!
クレモナの達人はどこまででも行けるんだ」


クレモナとは、北イタリアにある小さな街。
そこに世界最高の下り坂があるのだという。
いつか聖地クレモナで世界選手権を開く。
それが次男坊と僕の夢。

ヨーロッパの夕日を浴びながら
長い石畳の道をどこまでも下り
遙かなるローマを目指すんだ。


それもこれも、半年前までの話。
長い旅から帰ってくると
ご隠居は肺炎で亡くなっていた。

次男坊は一度だけ、クレモナ中を見かけたが
今は会いに行けない建物の中にいる。
パチンコ屋で包丁を振り回したそうだ。

こうして、クレモナ愛好者は
この町に僕一人になってしまった。

ついでに言うと、調べたら
クレモナには長い下り坂なんかなかった。


それでも僕は、夕方になると
錆つき自転車で坂を下る。

僕はただの重量。
ただの重量が、夕暮れの商店街を
無表情に走ってゆく。

最後に見かけた次男坊を思い出す。
時間が止まったような、まっしろな顔を。

僕にも、もはや漕ぐべきペダルはない。
クレモナは、そういう人間たちのスポーツだから。

どこまで行けるか。

サドルから滑り落ちる、その瞬間までに。


そうして私は自分すべてを売ろうと思い立ち、街に出かけて
いったのでございました。むろん私は若く困窮しておりまし
たが、曲がりくねった誇りを持っていて、自らの肛門もしく
は内臓のみを売ることを潔しとしなかったのでございます。

半月かがやく夜空の下で自分を売らんと声を張り上げる私は
狂人として放置されましたが、一月後にハンチング帽の老人
が私の前に立ち、売っているのかね、なら買おうか、とおっ
しゃったのでございました。

は、ならばどうぞ、しかし幾らでお買いあげになるので、と
言うとその方は大声でお笑いになり、君は自分全部を売った
のだからその代価も君ではなく私が受け取るのだ、だから買
値に意味はないのだよ、とおっしゃいました。
これはおかしな理屈でございましたが、その方の笑顔に魅せ
られた私は素直に自分を売ることにしたのでございます。

その方、すなわち旦那様に連れてこられたのは裏路地にある
シャッターを下ろした小さな店で、カウンターになったガラ
ス貼りのショウケースには何ひとつ置かれておらず、そこで
私は旦那様からひとつの仕事を命じられたのでございます。

それは世界全てのカタログを作る仕事でございました。この
街、街の街灯、街灯にとまる鳥、鳥の糞、糞を踏む女給仕、
これらをことごとく列挙し分類する仕事。数十ページがたま
ると私はそれを旦那様の豪壮な屋敷にお届けし、旦那様はそ
れをもとに売買をされるとのことでございました。私はそれ
以外に店を出ることもなく、世界のあらゆる事物を列挙する
ことに没頭したのでございました。

十六年目に旦那様が亡くなられました。いまわの際に私を枕
元に呼ばれた旦那様は私を見上げて不敵に笑われ、こう言わ
れたのでございます。

暖簾分けをしてやろう。ということはつまり、私が知り実践
してきた世界の真理を教えてあげようということだよ。
全ての物は売ることができる。自分の所有しないもの、見た
ことのないもの、実在を確かめられない物、夢に出てくる物、
夢にすら出てこない物、これら全てが売買できる。名前さえ
あればね。それが私の発見であり、生涯の秘密だったのだよ。

こうして私は、相変わらずシャッターを下ろしたままの店の
奧で、自分の「商店」を開いたのでございます。
以来、私は自らの作ったカタログをもとに、思いついた番号
に電話をかけ、取引を行ってまいりました。
地球は十二回ほど、天の川は四回ほど、売り買いさせていた
だきました。夕焼けにいたっては、もう何度売っては買い戻
したか、数え切れないほどです。代価として時々、何か、ひ
どくひんやりした物がやってきますが、それが何なのかは、
私には些事でございまして。

つい昨日、生まれたばかりの孫をどこかわからぬ遠いところ
に売ったところでございますが、その悲哀もまた、高値で売
れる私の商品でございます。

徹夜明け


徹夜明け


飛ぶ鳥の影
を 
見ても

信じてはいけない

鳥はいない
こんな真空には

眠る機械

よこを
しずかに通り過ぎて

どこかへ行こう

開かずの踏切の前で
老婆

遠い目をしている街


無人交番で

泣き叫ぶ子供

抱きしめ
抱きしめ
眠るんだ

そんなに人間が


そんなに人間が好きかい?
と 彼は言った

目に映るのがいつも人間ばかりで
閉じこめられてると感じたことはないかい?

閉じこめられてるさ もちろん
だって仕方がないじゃないか
俺たちは人間から来て人間に帰るんだ

草や河や象を歌っても
俺たちは人間の容器の中さ
どうしろっていうんだい?

なに簡単さ その皮をぴりぴりっと剥いだら
俺と同じような何かが出てくるのさ

と 彼は言い
出された団子をぱくりと食べて

そして脚をふるわせはじめる

さよなら 賢い小さな君
またいつか もっと
とりとめのない世界で会おう

てんびん座HN28重星にて


「ヒマだな」
「ああ ヒマだな」
「なんか面白い話しろよ」
「じゃあ話すか すっごいの
もーぜってー驚くぜ」
「…はやく話せよ」
「銀河系の地球ってとこの二足動物はさー
お互いを喰い合って親愛をあらわすんだってさ」
「…はあ?なに言ってんだおまえ」
「いやマジ マジで口と口を直接接触させて吸い合うんだって」
「どっから聞いてきたんだそんな話
ありえねーよ つーか意識体を生きたまま吸うのは犯罪だろ」
「えー でも講義で聞いたんだぜこれ マジだって
すげー気持ちいいってそいつら言ってるらしいぜ」
「マジかよ…宇宙は広いなー」
「なー」
「…で それで終わりかよ」
「うん」
「……」
「……」
「…ヒマだな」
「ヒマだな」
「…ちょっとやってみるか」
「あ?なにを?」
「いやそれ 吸い合うの」
「えー!?俺とおまえがかよ!」
「うん」
「やだよ!つーかおまえ俺を喰う気かよ!」
「いやいや喰わねーよ!ふりだけだよ ふりだけ
ヒマなんだからしょーがねえだろ!他にやることあんのかよ!」
「キレるなよ!…しょーがねーなー」
「うっしゃ じゃやるぞ もうちょっとこっち寄れよ」
「…うわ!おまえ口でか!つーか牙ぎっしりじゃねーか!
近づけんなよ!こえーよ!」
「…おまえの口って吸盤ついてんのなー
じっくり見たのはじめてだ…ぷぷ!」
「笑うなよ!吸盤ついてっと便利なんだよ!
つーかおまえ何喰ったんだよ!牙が青いゼリーだらけだよ!」
「別にいいだろ何喰ったって!ええと 口をこう…」
「………」
「………」
「…なあ 別になんてことなくね?」
「まあ口なんてくっつけてもなー …うわ!おまえ何してんの?」
「いやもうちょっと吸ってみようかと」
「………」
「………」
「…うわ おまえ吸盤すげえな!」
「……」
「…けっこう気持ちいいな これ…」
「…ふう…疲れるなー」
「…でもいいぜ 楽しいぜこれ」
「だなー なんでだろうなー」
「地球のやつらよくこんなの見つけたなー すげえ!」
「おお 地球すげえ!」
「いっかい行ってみっかー」
「おー いいかもなー」

こうして異星人の地球侵略は始まったのである

ある音楽のための十六のレビュー


■ステキ!


曲名もわからないのだけれど
イントロから惹き込まれました。
とっても神秘的な響きがする曲です。
ビブラフォンのソロが素晴らしくきれいです。
ただ、途中にノイズみたいなのが入っているのが残念。
古い曲なのでしょうか?


■あまりにも先鋭的な…


あまりにも先鋭的なアーティストの遺作となった、短い鮮烈な曲。
わずかな音数のあいだの沈黙に込められた、膨大な意味。
世界中でフィールドワークを行い、数十回の変貌を遂げた
変幻自在の作曲家が、最後にたどりついた境地が
2分50秒から55秒の間に現れる。
窒素ボンベからエアが抜ける音ではないかと私は推測しているが
不思議な音が、玄妙なハーモニーを奏で
涅槃の響きを鮮烈に伝えてくる。


■聴いてはいけない


あまりにも危険な音楽ですよこれ。ヤバイなんてもんじゃない。
ラジオから流れてきたら世界中で皿や花瓶が割れるね。手から滑り落ちて。
不吉すぎますこのグルーヴ。とくに声。あの声。
ほんの一瞬しかきこえないけど、あんなに醜い声は聴いたことがない。


■↑の誇大宣伝に注意


上のレビューの大仰な物言いに興味もっちゃって、聴いてみたよ。
水の音がしてるだけじゃん、これ。
それも水道水が流しの桶からこぼれる音じゃん。だまされた!


■世界をくるむ音


わずか3分3秒しかない曲とは信じられない。
曲は可聴域ぎりぎりのバスクラリネットの低音からはじまり
まるで大伽藍を形作るように、幾何学的に音が展開する。
その伽藍の中には世界中が入るかもしれない、そんなことを思わせる。
惜しむらくは、この美しい音の建築の中に、人間のにおいがしないこと。
管楽器が使われているのに、人間の息の痕跡はまるでないようにきこえる。
まるで太陽系外の音楽のようだ。


■なんでバラバラなの?


なぜ、みんな言ってることがバラバラなのでしょうか?
ていうか、このレビューそのものが冗談?
いったい、問題のその曲は実在するの?


■聴くことができない音楽


この曲は実在する。私が保証する。
ただ、上のレビューはぜんぶ嘘だ。
なぜなら、楽譜としてしか残っていない音楽だから。
いまだかつて、一度も演奏されたことはないはず。
少なくとも私が知るかぎりでは。


■そんな馬鹿な


ならば、いま僕が聴いているこの曲はなんなんだ。
杏仁豆腐のようなぷるぷるした空間が、音と音の間をみたす
奇跡のように苦くて、ぐにゃぐにゃなこの曲は!
この曲は実在しているよ。だって、僕の耳元で鳴っているもの、いま!


■別サイトの公式レビュー


拾ってきたよ。これで決着するだろ。


<…音楽史に、他に例をみない
異様な姿を残しているモニュメント的な作品。
音で物質を形作るという、およそ常識離れした離れ業に成功している。
作者によれば、そこで「音的物質」としてこの世に誕生しているのは、
全長10センチほどのロボット犬であるという。
じっさいこの曲を聴いていると、背中の金属のひんやりした手触りと
かすかなモーターの震動が如実に感じられるのだ。
これは怖ろしい経験で、曲の後半で犬の短い吠え声が聞こえたとたん
音楽の深奥に取り込まれて、思わず悲鳴を挙げそうになることだろう。
圧巻の3分3秒である。>


■……………


ロボット犬?


つーかどこだよそのサイト。検索しても検索しても
そんなテキストは見つからないぞ。


■3分3秒


音楽というのは煎じ詰めれば時間なのだから。
時間は物質にはならない。
これは3分3秒ある。それだけが真実だ
と、ジョン・ケージなら言うだろうね。


■ふざけんな


俺は夢を見た。いや、夢を聴いた。
思い出せない夢のかけら、それが音楽だ。この曲なんだ。
だが、この曲とはなんだろう?
俺はいま、その曲を聴くことができないのに。


とにかく、ふざけんなおまえら。


■かすかなノイズが


私の耳にずっときこえているけれど、それは
あきらかにニンゲンが作ったノイズみたいだ。
音楽とは、ニンゲンが作ったものでしょ。
だから、私がききつづけているこれが、この曲なんです。
山でもなく川でもなく猫でもなく鳥でもないんです。
なにかが私にささやいてくるけど
なにかが私にむかって世界をかなでているけど
私にはわからない。意味が。その意味が!
ニンゲンがつくったものなのに。


■ほんとうに?


○短い曲らしい。3分3秒。
○音数は少ない、シンプルな曲らしい。
○あまり陽気な曲ではないらしい。
○一瞬だけ声が聞こえる。
○ビブラフォン。管。窒素ボンベ。
○水の音。震える杏仁豆腐。ロボット犬。


ねえ、ほんとうに
私もいつか
その曲を聴くことができるのでしょうか。


■いつか


いつか聴けるよ、と彼は言った。
いつか聴きたいね、と彼女は言った。
3分3秒。音楽の大伽藍にしてロボット犬の歌。
それを聴きながらあらゆる人は皿を割る。


音楽をいかにして他の音楽と区別する?
ささやきをどんな方法で他のささやきと聴きわける?


名札を持たない音楽のために
名札を持たない聴き手は
がらんとした期待の中で耳を澄ます。
いつまでも。


だがそれは僕には関係のないことだよ。
ただ僕は、道を歩き出して
パチンコ屋から流れる猥雑な歌を聴きながら
世界に溶け込むように口笛をふいて
まだ聴かれたことのない3分3秒のことを忘れるんだ。


…………


■カップ麺をゆでるのに重宝してます


聴き終えるとちょうどいい具合になってるんですw

秋夜独唱 (定型詩の試み)


秋の夜に月も出ずして
灯火消ゆ
おうおうと海よりの風
吹き渡り来る

秋の夜に鳥影絶えて
街眠る
闇に揺れ独り目覚めし
薄と我と

風来る彼方にあらん
波止場にて
腹見せる冷たき魚の
眼(まなこ)を想う

うつろにも見開かれたる
眼を想う

夜走る'99


フッ フッ すでに戦闘体勢
チャリンコの鍵外すのももどかしく
またがり漕げば股間を痛打
一瞬の蛇行すら俺には命取り
フッ フッ みじかく息を吐き
午前一時四十五分
いま俺はスーパージェッター
五分前まで雑誌をパラパラ
すね毛かいてた男は消滅した
フッ フッ 舗道から車道へ
段差に揺れるママチャリ華麗にハンドル
いま俺は世界でも通用するぜ
どけよトラックタクシー人間
俺と彼女の道をふさぐもの
フッ フッ 一時五十分
どうしても今夜会いたいんだ
小さな写真の中ですまし顔の彼女
なあ男ども わが同志たちよ
おまえたちはわかってくれるだろ
フッ フッ 交差点で三倍速
涙目なのは悲しいからじゃない
鼻水が出てるのは泣いたからじゃない
俺の熱が噴き出ているんだ
フッ フッ 一時五十五分
着いたぜ俺の約束の地へ
エスカレーター駆け上がる
残された時間はあと五分
いくつもの棚と同志たち
肩ふれあうほど近く
俺たちは気まずく目をそむけあう
フッ フッ はずんだ息を殺さずに
やあゲンキかと この棚の前で
笑いあえる日は来るのだろうか
俺たち馬鹿だな と言い合える日が
フッ フッ 感傷ふりはらい
俺は彼女の名を探す
二泊三日の恋だと嘲笑えよ
いま俺の高ぶりは脳天が痛むほど
指鉄砲で銀行強盗ができるほど
フッ フッ ハンドルの形に硬直した指先で
彼女の写真を確かめ
それから気づく


貸し出し中

老虎賦(会田綱雄の思い出のために)


老いた虎は悲しい
目は見えず
鼻はきかず
だが腹が減ると
野性は猛り立つのだ
すでに周囲に
生き物の気配はない
昨日まで
傷ついて逃れてきた
小さな生き物がいた
自分の腹に
やわらかい熱がもたれかかっていた
だが昨夜
紅い閃光のような時間がきて
自分の牙が血に濡れたのだ
もはやその生き物も
口の中から消え去った
あれは もしかしたら
天使だったのだろうか

妻も子もとおい昔
どこかへ行った
自分が喰らったのかもしれぬ
と考えると
それは間違いのない
事実だったようにも思えてくる
何もかも喰らってきたのだ
世界を喰らってきたのだ
そして老いて
喰らわれた世界の中心で
葉ずれの音と
自分だけが残った
それが
虎であるということだと
誰にともなくつぶやいてみる
遠くで 水の音がする
そろりそろり
水辺のほうへ
辿り着けなかった密林の夢を
見るために

告白


俺は夕暮れと分身に憑かれている
繰り返し見たことのない情景を思い出す

毎日会う人々の心の糸を
ぼんやりと感じながら何もしない

聞こえない歌のことばかり考えているが
歌われているものが何かはついにわからない

十重二十重に封じられた箱のなかには
何も入っていない
そのことを俺は知っている

遠いもの ゆれるもの 名指せないもの
俺の手が届かないあらゆるもの

幻の小鳥を掴んだ手はつめたく
喉は羽ばたきのように震えはじめるが

俺が滅びもせずここにいる理由を
俺はほんとうには告げることができない

夜の子供の歌


1.

子供は深い闇の時刻に生まれた
それが間違いだったと誰もが言った

夜更けに目覚め夜明け前に眠る
それが変えられない彼の宿命

三歳にして眠る母親しか知らず
五歳にして言葉を忘れ
七歳にして見えなくなる

十歳の秋、走り去る救急車を追いかけ
誰も彼を知らない家を出る

2.

夜から夜へ時は流れ
夜から夜へ時は流れ
夜から夜へ時は流れる

黒々としたアスファルトは彼の大地
点滅する信号機は彼の太陽

夜の子供は歩き続ける

カンカンと踏切の音がする線路脇
雑草の陰に木霊が潜む谷間
 聞こえない叫びが響く頭上の闇

灯がともる家の外から家の外へ
灯が消えた窓の外から窓の外へ

夜の中の夜の中の夜へ

3.

夜から夜へ時は流れ
夜から夜へ時は流れ
夜から夜へ時は流れ

消えかけた非常灯の下の夜
子供ははじめて人を知る

茶色にかすむ目をした老人
駅の通路でうずくまる小さな影

けいれんして震える背中に
もたれかかってあらゆる闇を眺め
獣くさい鬚に頬寄せて眠り

やがて老人は動かなくなり
子供はそのまぶたを押し上げて
見えない眼を奪い取る

4.

夜から夜へ時は流れ
夜から夜へ時は流れ
夜から夜へ時は流れ

見えない子供は夜を旅して
渦をまく街に辿り着く

オフィス街を行く靴音の傍らで眠り
怒声響く料理店の厨房で横たわり
コンビニのゴミ箱の前で目を閉じる

白昼の喧噪の中で彼が見る夜の夢
見えない闇の夢

彼はいつしか見えない男となり
その眼には見えない瞳が光り
人はそれをビー玉と呼んだが
夜の男にそれは聞こえない

5.

家々には必ずひとりずつ
布団に潜り息をつめる子供がいる

自分の呼気の熱さに
闇のなか身をよじる子供がいる

そのやみくもに閉じられたまぶたの下で
もうひとりの子供は生まれ

やがて眠りに落ちる創造主のそばで
不眠の夜をいくたびも過ごし

影の子供は、ある夜、故郷の寝床を離れ
床きしむ暗黒の台所を手探りで通り抜け

重たい玄関の戸を、そろそろと開き
つめたい夜気の中に歩み出る

6.

手探りで塀づたいに歩く
四丁目高野屋スーパーは深夜うずくまる黒い丘
その横の電柱のかたわらに
闇より暗い男が立っている

       日が暮れた後に、石蹴り遊びをしてはいけない。
       まして、七歩以上いっぺんに跳んではいけない。
       チヨコレイト、の掛け声の後、なおも飛ぼうとしてはいけない。
       チヨコレイトドロツプ、と声がして
       義眼の男が、どこからともなく現れる。
       男の両眼には、青いビー玉が嵌っている。

かくして影の兄弟は永遠に失われ
彼は、ビー玉男のすそにつかまって旅に出る

7.

(兄弟よ きみはいま どこかわからない町の 家々のあいまを
うつむいて歩いている 通り過ぎる車のヘッドランプに
顔をそむけ 美容室のシャッターの前 側溝の蓋を カタカタと
踏みならし 千の夜を 歩いている)

兄弟よ

(きみは言葉を知らず 人を知らず きみが
消えられる 夜の奥を ただ目指して)

兄弟よ

    (自販機の照明がわずかにきみの顔を光らせる。
    きみの眼には、いま、ビー玉が嵌っている)

私がきみになる日はなく、私がきみにさらわれる日はなく
私は、ここに取り残されるだろう

二度目の冬に


あたたかいだろう?
でも 近づきすぎてはいけない

手を出したらだめだよ
とても あぶないものだから

あれは ぼくたちにはふれられない
あれくるう力のかけらなんだ

おもしろいうごきの炎に
さわってみたくて

きみはいま なみだをためて
じだんだを踏んでいる

でも あれを手にとることができる日は
ぼくたちには やってこないんだ

そのことに気づく日
きみが きちんと絶望するように

けれども 絶望しすぎないように
いのっているよ

いまは ねむくなってきたきみのために
ちいさな声で一曲うたおう

なぜモームスに頼まなかったのか?


すえた匂いのする店の奥でニット帽をかぶった髭剃り跡の青い男がこちらを見据え
モーニング娘?といぶかしげな声を挙げ、なおも何か言いつのろうとするのを私は
手を挙げて押し留め、とにかく資料が欲しいんだ、いくらかかってもいいと小声で言った。
妻と息子の運命はそれに、モーニング娘の正体を知ることにかかっているのだと
叫びだしたい衝動を抑えて黙り込む私を眺め回した後、古書店の主人は一冊の
黄ばんだ雑誌を取り出し丸めて私のコートのポケットにねじこんだのだった。

                     ◇

雑誌に挟まれていたメモを頼りに千葉松戸の一軒家を訪れた私を待っていたのは
古いスパンコールのガウンを着た小柄な老人で、それから身動きするたび
ガウンから薄片が飛び散る彼を看護する日々が始まったわけだが、私の焦燥は
並たいていのものではなかった。七年前、家に届けられた一枚の招待葉書、
それを持ったまま妻と息子は行方をくらませ、私に残されたのはモーニング娘という
言葉だけだったのだから。会話さえままならず、鼻歌を歌う時だけ異様な凄みを発揮する
その老人の下の世話をしつつ過ごした三年間。四年目の春に老人は死に、墓標を見て
私ははじめて、老人の名が美川憲一ということを知ったのだった。そして遺言として残された
メモには(またしてもメモだ!)、モーニング娘、またの名をモームス、とだけ記されてあった。

                     ◇

長い長い探索。
モームスとは古代英国の名探偵の従姉妹であるということをつきとめた私は英国に渡り
そこで魔術師マーリンの変名であるという噂を聞いてアイルランドへ旅し
パブで詩人マラルメの印度読みがモームスであると主張する篤学の士と意気投合し
マルセイユであり金をすって漁師として五年を過ごし、宋の英雄徐英九のモンゴル名こそ
モームスであるという証拠を得て中国の奥地へ分け入り

そして、そこで一枚の招待葉書を見た。それこそが私の人生を変えた一枚の厚紙と
同じものであり、風雪にさらされほとんどが消えた印刷のなかで
公開録画、という文字のみがかろうじて読み取れたのだった。

                     ◇

長い長い探索。
その果てに、私は東京お台場にある廃墟にいた。
球体がビルの中程に取り付いた奇怪なその巨大建造物に人影はなく
あらゆる用途不明な道具類が廊下に転がり、あるいは傾き
床はキラキラする紙吹雪に溢れ、コールタールでじっとりと濡れていた。

                     ◇

かすかな息遣い。私はいきなりその気配の持ち主のほうへ駆け寄り腕をひっつかむ。
ブルブルと震えるその腕の持ち主はかつての古書店の主人であり
髭剃りで青い頬をひきつらせつつ、モーニング娘はいまこの建物にいる、と語った。
第七スタジオ。そこに私を欺いたこの男が守ってきた秘密、モーニング娘という古代の謎がいる。
私は男を引きずりながら、暗くがらんとしたスタジオへ足を踏み入れ…

………そして、照明がついた。

ぎっしりと詰まった、上気した観客たち。彼らはただ、ステージの方を一心に見つめている。
そして、ステージには、舞い踊る何人も何人もの娘たちがいたが、その顔はどうしても見えなかった。
さあ、これが俺たちの秘密、この廃墟の秘密だよ、と古書店主人はささやき、かるく私の肩を押す。
観客たちはなぜか私の方をいっせいに見て号砲のような歓声を挙げている。
ステージへ歩き出す私の中に、ひとつの答え、最終的な答えが湧き上がってくるのを私は感じていた。

私が、モーニング娘だったのだ。

いや違うだろ、と古書店が言った気がしたがもうどうでもよかった。
ステージに上がった私の体に、顔の見えない娘たちが熱く柔らかい手で優しく触れてくる。
二十年に渡って着続けた饐えたコートを脱いだ私は、その下がステージ衣装であることに驚いた。
日本の未来ハー!と音楽が鳴り、エイエイエイエイと不思議な合いの手が身体の底から湧き上がる。
踊りながら観客席に妻と息子の姿を認めて私の目はみるみる涙で潤んできたが
それも次々に流れる音楽のうちに乾いていったのだ。

2011年9月23日金曜日

よるはなす 1


なにか話してよ って言うけど
何も話すことはないよ


愛用の のど飴について話そうか
それとも戸籍謄本の取り方について


のど飴について1時間語れたら僕は本物だ
なぜなら 僕はのど飴を愛用していない


うん 僕は希望も絶望も抱えたりしてない
世界の秘密も知らない


膨大な ほぼ無価値の個人情報と
重たい身体を持って ここにいるだけだ


ここというのが
どこなのか
よくわからないけどね

よるはなす 2


そうだ きみは
泣く魚がいることを知っているかい

オホーツク海をすごい数の群れで遊泳する
マイワシのなかに ごくまれにいる
百万匹に一匹ぐらいの割合でね

生まれつき彼は泣く機能を持っている
天才なんだ

仲間たちにまぎれて泳ぎ続けながら
彼は開きっぱなしの眼からずっと涙を流しつづける
でも 誰もそのことに気づかない
彼の涙は海水と同じ濃度だから

僕はおとつい 糸魚川漁港の埠頭で
水揚げされた彼を見つけたんだ

彼は横たわって 曇り空を見上げていたけど
籠に乱暴に押し込まれて どこかへ消えた

うん もちろんぜんぶ嘘だ
僕には語るべきことなんてなにもないんだから
三分前にもそう言ったよね

それにしても
ここは どこなんだろうね

誰にも見られないもの
誰にも知られないもの
誰にも語れないもの

そんなものに価値なんてないんだ
たとえ僕が泣く魚の夢を見たとしても
夢の終わりはいつも加工工場さ

よるはなす 3


僕?
僕はずっと夜道を歩いてる

ここはひどく暗いけど
ここはひどく暗いんだ
歩きながら眠り込みそうなほどね

僕の高校時代の友人に
開かずの弁当を持っている男がいたよ

学級机の奧の奧にそれはあって
半径五十センチ以内に近づくことは
教師でさえ許されなかった
三歳のときに母親からもらったそうだ

いつか彼が 司法試験に合格したとき
亡き母のためにそれを食べるんだと
修学旅行の夜にこっそり教えてくれた

彼は卒業の二ヶ月前に交通事故で死んだ
太った母親が通夜で大酒を呑んでいた
机から弁当箱は見つからなかった

嘘でしょうって そりゃ嘘さ
本当の彼はいまごろ
青年会議所で馬鹿笑いしてる
もちろん僕は彼と会ったこともない

よるはなす 4


なんだい 退屈かい

きみの声をきいていると
つい 愛していると言いそうになる
だからこうしてしゃべっているのさ

きみの声は
どうしても思い出せないけど

きみについて話してほしいのかい
そうだな

きみは二十四歳で
パソコンに向かうときだけ眼鏡をかける
えんじ色のツルの細いやつだ
好物はきのこのパスタだ
日本酒はかなりいけるが
ワインを飲むと頭が痛くなる
笑うと声が裏返るのを気にしている
父親がけっこう好きだが二月前に話したきりだ
股関節が固いからセックスのとき少し痛い
愛してると言われたことがいままで二回ある
さっき食べたスナック菓子のかけらが歯にはさまってる
ああ なんてことだ

さて きみはだれだろうね
きみはそれを知ってるかい?

笑いごとじゃないんだよ
声なんか裏返ったってかまわない

よるはなす 5


まあいいや
きみが誰か きみは知ってるようだから
僕は知らなくても安心というもんだ

ところで 壁と壁のすきまについて
考えたことはあるかい?

ヨセミテには重力異常の場所があるけど
世界にはもっと不思議な場所がある

誰も 足も手も踏み入れたことがない空間
この世が始まって以来 生きたものは誰も
人間も猫も蚊もわらじ虫もね

それは三鷹市の郊外の佐々木さんの家の二階にあるんだ
世界で確認されてる唯一の完全デッドスペース

壁と壁の間の三十センチぐらいの隙間だよ
ウイルスさえそこをよけて通るのさ

それから?
それだけだよ

別にそこはブラックホールでもなんでもない
ただ隠れたら二度と見つからない場所だというだけのことさ
世界にその場所を知っている生物はいない

なら なぜ僕は知ってるんだろうね
不思議な話だと思わないか

たぶんいつか ひんやりした壁にはさまれて
そこで眠った夜があるんじゃないかな
僕か もうひとりの僕か さらにもうひとりの僕が

よるはなす 6


うん そろそろ酔いもさめてきた
ほんとだって

「ぼくらがひとつの終わりそして始まりになるために
どんなスポーツシャツがどのくらい必要なのか」

前世紀に ひとりの詩人はこんなことを書いた
それにしても詩を口ずさむなんて正気じゃないな
僕もひとつの終わりってやつが近いのか

詩人はどのくらいスポーツシャツを集めたんだろう
ひとつの終わりそして始まりになれたんだろうか

僕は毎晩 夢で幾多の生を生きるけど
スポーツシャツの夢は見たことがない
不勉強にもほどがあるね

僕の夢の生涯はマンションの4階のベランダから
落ちてジエンドと決まってる
笑うなよ 高所恐怖症なんだ

ああ まだ切らないでくれ
僕の酔いはまださめていないみたいだ

ここは少し風がふいてて僕は震えてる
話すことは何ひとつないけど
もう少し楽しい嘘をつくからさ

よるはなす 7


それにしても ここは
どこなんだろうね

とうもろこしの匂いがするよ
かすかに

僕が僕の分身のことを考えてしまうのを
ロマンチックな妄想と思わないでくれ

僕は希望も絶望も抱いていない
分身もきっと抱いていない

僕と同じように
寝るときは枕を右手で抱くだろうけどね

枕のなかには ときどき
ラッキーカードが入っているんだ

埼玉の職人にだけ伝えられてきた技さ
二センチ四方の小さなプラスチックで
三百四十一個にひとつの割で入ってる

僕は十四歳のときに当たったんだ
古い小豆入りの枕でね
人を殺したい夜に破ったら出てきた

こう書いてあったよ
ラブローション割引サービス

その瞬間 僕の運命が定まった
ラブローションの革新に一生を捧げる運命が

うん もうわかってるよね
どうも低調で困っちゃうな
きみ 冷ややかにわらってるね

よるはなす 8


僕の叔父は九州のヤクザの親分だった
ストリップ劇場をやっててね

ワゴン車の後ろにいつも半裸のおねえさんが詰まってた

八歳の僕はおびえながら
むせかえる化粧の匂いの中でうずくまってた

叔父は前の助手席で大声で笑ってたよ
金払っても替わりたいもんだ なあ坊主

叔父は五年で零落した

叔父の顔は思い出せない
どうしても

あれは僕の思い出なんだろうか
おねえさんに頭を撫でられた僕は僕だったんだろうか

うん これも嘘だよ
嘘ということにしておいてくれ
かすかに胸が痛い

よるはなす 9


ねえ
きみは だれなんだい
きみの股関節は本当に固いのかい

知ってるかい
僕のための箱があるんだ 世界のどこかに
死んだ後のためのあれじゃなくてね
両手で持てるぐらいの小さな箱さ

そこには僕の全部が入るんだ
とっちらかった僕の全てが
僕の陰茎も 僕の悔恨も
僕のそろばん二級も 僕のフォアボールも

僕のすべての分身もね

たぶん 箱はいま
信濃町の裏路地にある雀荘の前あたりの
地面に転がってるんじゃないかな

もしかしたら 僕はもう
その箱の中に入ってしまっているかもしれない
うん たぶんそうだ
火曜日には清掃車が回収してくれるね

そう考えるとしあわせになる
そうじゃないかい?

ここは寒いな

よるはなす 10


2ちゃんねるという匿名掲示板があってね
時計・小物というカテゴリーでスレッドが立った
時計と小物でしりとり というスレッドさ

2004年の11月3日 そのスレの183番のレスが書かれた

たすけてよ

誰も反応しなくてそのスレッドは1ヶ月後に読めなくなった
それだけの話 それだけの嘘だ

僕は言葉と身体で出来ているけど
言葉は僕のものじゃないんだ

どこからか響いてきて どこかへ消える
追悼もされない言葉たち

言葉を発しながら 言葉を聴きながら
僕は分身を生み出してゆく

誰にも聞いてもらえない言葉とともに
一瞬のちにはどこかへ消える分身を

かれらは うつろな記憶と小さな幻をかかえて
いまも背を丸めて歩いているんだ

僕のようにね

きみには見えないだろう
夜道ですれちがっても
僕も 僕の分身も

よるはなす 11



ねえきみ
きみは僕を知っていると
あるいは 僕を知らないと言ってくれ


そうしたら 僕も
きみを知っている
もしくは きみを知らないと言ってあげよう


僕は死んでいると
または 僕は死んでいないと言ってくれ


きみがそれを教えてくれたなら
きみが恋しいと きみに告げよう


ゴミ袋の口を縛るのに高確率で失敗するきみ
右足の薬指が少し腫れてるきみが恋しいと


そんなに憤慨することはないさ
ほんとうにゴミ袋がうまく縛れないのかい?


きみのささやかな情報を集めに集めて
きみというタグを結びつける


そうして 僕はきみに恋をする
恋をする予定だ 二分後には


僕らには そういうことしか
出来ないんだから

よるはなす 終


どうやら 着いたようだ
どこに着いたのかわからないけど

きみも そうとう
眠そうだね

僕に語ることが何もないのは
僕も 誰かの分身だからさ

言葉が尽きたら記憶は消える
記憶とともに感情は消える
僕は夜の中に消える

明日になれば誰かが眼をこすって起きてくるだろう
僕のかわりに
それが誰なのか僕は知らない
少し僕に似てるってこと以外はね

きみに恋することができなくてごめん
でも仕方がないんだ

ここは何一つ物音がしないし
僕はきみの声が思い出せない

きみがだれだか知らない
きみと電話なんてしていない
携帯電話を持ってないからね

きみはだれ?

その問いも 答えも
夜の中に消える

おやすみ 世界と世界のなかのきみ

おやすみなさい