2011年9月24日土曜日


そうして私は自分すべてを売ろうと思い立ち、街に出かけて
いったのでございました。むろん私は若く困窮しておりまし
たが、曲がりくねった誇りを持っていて、自らの肛門もしく
は内臓のみを売ることを潔しとしなかったのでございます。

半月かがやく夜空の下で自分を売らんと声を張り上げる私は
狂人として放置されましたが、一月後にハンチング帽の老人
が私の前に立ち、売っているのかね、なら買おうか、とおっ
しゃったのでございました。

は、ならばどうぞ、しかし幾らでお買いあげになるので、と
言うとその方は大声でお笑いになり、君は自分全部を売った
のだからその代価も君ではなく私が受け取るのだ、だから買
値に意味はないのだよ、とおっしゃいました。
これはおかしな理屈でございましたが、その方の笑顔に魅せ
られた私は素直に自分を売ることにしたのでございます。

その方、すなわち旦那様に連れてこられたのは裏路地にある
シャッターを下ろした小さな店で、カウンターになったガラ
ス貼りのショウケースには何ひとつ置かれておらず、そこで
私は旦那様からひとつの仕事を命じられたのでございます。

それは世界全てのカタログを作る仕事でございました。この
街、街の街灯、街灯にとまる鳥、鳥の糞、糞を踏む女給仕、
これらをことごとく列挙し分類する仕事。数十ページがたま
ると私はそれを旦那様の豪壮な屋敷にお届けし、旦那様はそ
れをもとに売買をされるとのことでございました。私はそれ
以外に店を出ることもなく、世界のあらゆる事物を列挙する
ことに没頭したのでございました。

十六年目に旦那様が亡くなられました。いまわの際に私を枕
元に呼ばれた旦那様は私を見上げて不敵に笑われ、こう言わ
れたのでございます。

暖簾分けをしてやろう。ということはつまり、私が知り実践
してきた世界の真理を教えてあげようということだよ。
全ての物は売ることができる。自分の所有しないもの、見た
ことのないもの、実在を確かめられない物、夢に出てくる物、
夢にすら出てこない物、これら全てが売買できる。名前さえ
あればね。それが私の発見であり、生涯の秘密だったのだよ。

こうして私は、相変わらずシャッターを下ろしたままの店の
奧で、自分の「商店」を開いたのでございます。
以来、私は自らの作ったカタログをもとに、思いついた番号
に電話をかけ、取引を行ってまいりました。
地球は十二回ほど、天の川は四回ほど、売り買いさせていた
だきました。夕焼けにいたっては、もう何度売っては買い戻
したか、数え切れないほどです。代価として時々、何か、ひ
どくひんやりした物がやってきますが、それが何なのかは、
私には些事でございまして。

つい昨日、生まれたばかりの孫をどこかわからぬ遠いところ
に売ったところでございますが、その悲哀もまた、高値で売
れる私の商品でございます。

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